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飯田哲也のエネルギー・フロネシスを求めて 「中期目標」に見る日本の本当の危うさ――コペンハーゲンでの大敗北は避けられるか(09/06/29)
6月10日、麻生太郎首相が満を持して、「中期目標」を発表した。「2005年基準15%削減」という数字を掲げ、同じ05年基準で比較をすると、米国はもちろん、温暖化対策優等生の欧州連合(EU)をも上回る「世界をリードする目標」だと、自信たっぷりに発表したのである。 ところが「世界をリードする目標」のはずが、国内の環境NGOからはもちろんのこと、途上国からも他の先進国からも、そして国連事務総長からも失望や批判の集中砲火を浴びた。ちょうどドイツのボンで開催していた国連気候変動枠組み条約の特別作業部会で、ブッシュ前米大統領に麻生首相を重ねた似顔絵とともに「特別化石賞」を受賞し、世界の潮流から大きくズレた日本の姿が、改めて浮き彫りになった。 今回の中期目標を巡っては、多くのメディアやブログなどが「経済派vs環境派」の対立と描いてきたが、これはまったくの誤解である。経済に軸足を置く日本経済新聞が、地球温暖化対策に関して経済界や経済産業省のスタンスに一貫して批判的なのは「経済派vs環境派」の対立ではないことの実例だ。そうではなく、「新しい経済」と「古い経済」との対立なのであり、また日本が世界史的に存在感と役割を失うかもしれないという危機でもあり、政治と政府がそのことに気づかないばかりか、政府が自らそういう事態を招いているという、絶望的な現実なのである。 発表された数字の大小よりも、そのことの方がはるかに深刻な事態といえよう。そこを見誤ってはならない。
■大本営「05年基準」を垂れ流すメディア 中期目標が決まった直後のテレビ速報や夕刊・朝刊は、一様に「05年基準15%削減」で統一されていた。ただでさえ分かりにくい数字や気候変動政策の話であるのに、「05年基準」という、国民をいっそう混乱させる「数字遊び」を、大本営発表よろしく垂れ流したメディアの罪は重い。「1990年基準で8%削減。京都議定書の目標よりもわずかに2%深掘りしただけ」と正しく伝えなければならない。それを怠ったメディアは恥じ入るべきだ。 もちろん、「05年基準」を前面に出した政府こそが問題なのは、言うまでもない。正統性(レジティマシー)を欠いた政治は、自らの正統性をおとしめるだけである。 以前の記事(08年12月)でも書いたが、日本は京都議定書はもちろんのこと、92年の地球サミットで、「00年までに90年レベルに安定化」を目標とした地球温暖化防止枠組み条約も締結している。「90年基準」というのは、そのころからの国際合意であって、京都議定書はそれを忠実に踏襲している。その時点では、大欧州統合(95年に15カ国、07年までに27カ国)も、東欧の経済低迷も、自然エネルギーの飛躍的な拡大も、日本のバブル崩壊も、日本の過剰な石炭傾斜も、誰も予見できようもなく、「90年基準は欧州に有利だから」などという見方ができる歴史的な余地はない。 ※ ご意見・ご感想はこちらのリンク先からお送りください。ご氏名やメールアドレスを公表することはありません。 「飯田哲也のエネルギー・フロネシスを求めて」最新記事
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